風まかせのハンモッカー

先着順で良き場所から埋まっていく野営地。

彼からの第一報では、三連休を前にして、既に営地が残り少なくなっている事を伝えてきていた。

Sigmer氏は仕事の間隙を縫って、アプローチ道沿いにDoDタープとグランドシート２枚を駆使し、後から参ずる我々のために前乗り作戦を果敢に行ってくれていた。














何故に三ヶ所もの場所取りを講ずるのか。

ラストの一つのイスは青が好きなローダウンミラ氏のものである。

お会いするのは初めてとなる。









前乗りのSigmer氏、意外や意外、今夜は初ソロの夜だという事だ。

鈍感な当方と違い、繊細な彼は一晩を一人で乗り越えられるのであろうか。

親心の様に心配である。

















土曜本番の朝。

野営地へ15kmと迫った頃合いで一本のメールが届いた。

周囲は明るくはなってきてはいたが、まだ5:15である。





一体こんな時間にメールとは…





「現場だより」と銘打った本文は、Sigmer氏からのものだった。

どうやら一人で寂しい夜を越えたらしい。

その時の頑張りが、後々、あの様な結果を招く事になるだろうとは、誰一人想像出来なかった。

メール本文からは人恋しさが切々と伝わってくる。












次報はブルーミラ氏と合流出来た旨が記してあった。

下道を３時間かけて南下してくださった彼。

至近のコンビニで夜を明かしたとの事だ。














一人は前乗りを仕事と喜んでみなす甲斐甲斐しい男。














一人は寝坊を恐れて、５速マニュアルトランスミッションを駆使する男。













一人は氷の買い忘れだけはどうしても避けたい男。











そんな３人が集う夜である。

弾けないわけがない。















営地へ着くと、当初のDoDタープの地ではなく、更に奥の胡桃の樹の下に場所が変わっていた。

シルバーのNV350と青いミラが朝陽に照らされていた。

日中の日差しを慮った、Sigmer氏の英断である。

その胡桃の樹を支えとしてハンモックとアクアクエストタープが張られ、その左手には見慣れたアイアンテーブルとジャグが鎮座していた。

Sigmer氏は今夜も定宿の鉄幕で過ごす様だ。

いつもは無い焚き火台までもが見えた。

ソロの無聊を慰めるには、焚き火が必須である事を彼は知ったことだろう。


















ブルーミラ氏とははじめましてである。

かの御仁とはブログのコメント欄で何度も会話をさせてもらっていたが、その文面通りのイメージであった。















挨拶を済ませた後、暫くしてSigmer氏の姿が忽然と消えた。

彼は一人静かに、70mほど離れた当初の場所に張ってあったタープを回収しに行っていたのである。

なんと奥ゆかしい男であろうか。

それに気付いた残り２人の男も慌てて回収手伝いに向かう。













ブルーミラ氏からはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ、それも標高の上がった地でしかとれないスノートップという珈琲豆をいただいた。

名前が粋である。

マスクにまで香りが移るという噂の逸品である。
















設営なぞ放っておいて、チェアとビールを出そう。

右手からは本流の流れが煩くないほどに響き、頭上からは都会では聞くことのなくなったツクツクボウシやクマゼミ、ヒヨドリやウグイスが鳴き叫ぶ。

まるで仲間と喧嘩しているのか、と思わせる勢いで。

7:30とは思えない陽射しが降り注ぐ中、彼らの鳴き声は一層暑さを際立たせた。

















一渡りビールを味わってから止む無く設営を始めた。

今夜はソロベースで寝る事とする。




















無遠慮にもほどがあると戒めながらも、その味わいの誘惑に打ち勝てずにリクエストをしてしまった、Sigmer氏の奥様特製ポテトサラダ。

なんでもいつも行かれるスーパーに厚切りベーコンが見当たらず、全国各地を探し回ってくださったらしい。









アフリカ大陸に日本各地…

なんだかグローバルなキャンプの様相を呈してきた。


















もう既に安心感さえ与えてくれ、実家の味を久しぶりに食した懐かしき感動さえも彷彿とさせる、「これだよ、これ！ジャガの妙味」と自分の語彙の少なさに辟易すら覚える味覚のマジック。


















食の競演の火蓋が切られた。

ブルーミラ氏は深めのスキレットに、陽射しから少しでも多く栄養分を取り込もうと表面積を増やした青味豊かなゴーヤを放り込む。

こんなところにも青好きな彼の徹底振りが伺えた。

どうやらゴーヤチャンプルーと、旬ならではの一番手を選んでくださったらしい。



















こうなる事は重々承知していた。

湯煎大王としては、指を咥えているどころか、タンブラーを空にする事くらいしか仕事が無いのである。

ゴーヤの苦味が程よく感じられる爽やかな口当たりのチャンプルーは、料理写真の帝王と称される彼の、味覚面でも帝王と呼んでいい事が伺い知れた。



















負けじとSigmer氏が火にかけたのは、前回よりも標高の高いニクニクしいハンバーグ。

マルシンハンバーグしか辞書に無い当方の常識を覆した、これぞ「本物の」ハンバーグ。

黒光りする鉄鍋の端っこで煙りを上げるオイルと、肉の塊から染み出した肉汁とが、手を組んだ瞬間だった。

視覚と嗅覚からまずやられてしまうハンバーグは、ホフホフと頬張ったら最後、箸の進みは誰にも止められない。

Sigmer氏のハンバーグを焼き上げる腕も、前回を遥かに超えていた。




















テンション高めな、火を前にした男どもの競演は止まる事を知らない。

ブルーミラ氏が追撃の一矢にと選んだのが、マッシュルームの香りと海鮮の出汁がよく効いたアヒージョ。

噛み締めるほどに、ダイバーとなって魚の群舞を眺めているのかと錯覚させる味わい。

今までの料理は、口にせずとも香りだけで白メシ二杯はいけるというシロモノである。

となると、既に白メシのおかわりを８杯してしまった計算になる。




















視覚も嗅覚も味覚も存分に味わった満足感からだろうか。

湯煎大王はクルマからオールを取り出して、船を漕ぐ準備を始めた。

なんの事はない、チェアに座ったまま満腹感の海で夢を漕ぎに出掛けたのである。

その間に、アヒージョスープにパスタが放り込まれていた事など記憶にある訳も無し。

遠くで男２人が舌鼓を打つ様が感じられ、それはほどなく消えた。

当然の事ながらアヒージョパスタの写真はどこを探しても無かった。


















夢の国から戻ってきたら、テーブル上には海鮮の旨みを存分に吸ったパスタと、キンキンに冷えた黒ラベルがあった。

寝落ち後の黒ラベルがこれほど旨いと思った事はあっただろうか。

冷めたパスタがこれほど旨いと感じた時はあっただろうか。

熱いうちに食したら、もっと旨かっただろうに。

帰って体重計に乗るのがひたすら怖い。



















程なくして宴の終了が告げられた。

22時にクワイエットタイムを迎える模範的キャンパーである。

いや、消費した氷の量に比例して、体内のアルコール度数が高まっただけかもしれないが。

アルコール分解酵素であるアセトアルデヒドも、もうお手上げであったと後で聞いた。





















夜中３時に降り出した雨は、パップのポール穴から侵入し、滴となって顔を叩く。

眠い目をこすり、フォールディングマットの位置を動かして、再度ジャングルブランケットに潜り込む。

雨は大地の暖気を吸い、気温を23度まで落とした。

肌寒いが過ごしやすい気温は、最高の二度寝をもたらしてくれた。






















スノートップをミルで挽く音で二日目が始まった。

初めて飲む珈琲豆は、煮出しすぎた悪夢を避けるべく早めにあげがち。















真鍮の筐体につくコックを捻ったブルーミラ氏は、熱々の鉄鍋に玉子を割っていく。

程よく白身に熱が通った事を確認した彼は、鍋を火から下ろし厚ホイルを蓋にして蓄熱された熱気で蒸し上げた。

経験から手に入れた知恵。

動きに無駄が無い。

ブログ界の朝定食部門を震撼させる、ブルーミラ氏特製ベーコンエッグ。

５速ギアを操る手は、鉄鍋さえも心地よく振っていた。

ベッドの上でブランチをいただく、フランス王侯貴族の気持ちを味わえた事は言うまでもない。

ただし、そこで使用されたのはナイフとフォークではなく、コンビニの箸であったが。





















すぐさま横でバゲットに熱を通すSigmer氏。

昨晩は料理の競演だったものが、日が明けると共演となっていた。

















トロリと溶ける黄身の甘さと、カリカリのベーコン。

それらをすこし焦げ目のついた香ばしいバゲットに載せて食す幸せ感。

食いしん坊の貪欲さは、果てしない食への欲求へと繋がっている様だった。











食後に朝の一杯よりも気持ち長めに珈琲を煮出してみた。

深めの味は、煮出す時間の頃合いが正しかったことを思わせた。



















一つ片付けては、５分休憩。

もう一つ片付けては10分休憩。

そんな暑い厳しい撤収作業でささくれた心を癒したのが、Sigmer氏がコンビニから直送した「しろくま」だった。

舌を突き刺す冷気は、薪ストーブダクトパイプ流用煙突システムエリートスパークアレスターを修理するエネルギーまでもたらした。

名称が長過ぎてなんのことやら分からない。



















そして昼過ぎに散開。

またとない貴重な時間をもたらしてくれた男たちに感謝。

喋って、食べて、呑んだ時間も終わった。

相当な幸せ感とともに。





この２日間、日射を遮ってくれた胡桃の樹にも感謝。

あなたがそこにいなかったら、旨い料理も、旨い酒も、それこそご馳走である会話も無かったかもしれない。